菊池、菊地、小椋さんの起源について

日本人のおなまえっ!(NHK2/1)について。

菊池さんは、南北朝の戦に敗れ、東北地方に逃れ、菊地を名乗った人達もいるとの見解は、かなり無理がある。というのは、たかだか600年ほど前のことであるが、現在、菊地さんは、全国に15万人もいる。よって、先の見解では、この人口は説明できない。

茂木和平古代苗字起源説によれば、大昔の神武東征以前に、摂津国へ、新羅から、木工集団が渡来し、その首領の、久々智(くくち)公が『新撰姓氏録』・摂津皇別に登場する。このくくちの最初のくが母音変化すると、きとなって、木口(き_くち、口は集落を意味する)は、佳字の菊池(きく_ち)を当てたとなる。この集団が、九州方面にも移り、繁栄したとすると、菊池さんの人口、15万にもなりうる。

一方、東北地方には、その後、朝鮮半島から、再度、木工集団が渡来し、繁栄し、その子孫は、菊池、菊地(菊池とは、ちの当て字が異なるだけである。特に意味をもたない)を名乗った。

木地師の小椋(こぐれ)さんは、小暮(こぐれ)さんと同じで、ただ、当てた漢字が異なるだけである。こ_ぐれ←こぐ_れ←こく_れ、と変化し、

こく_れ、とは、国礼←国羅(こくら、らは那(くに、集落)を言う)

よって、小椋とは、韓半島出身の国氏の集落である。この国の字は日本語では、こく、と読むからである。